本能寺が燃える (東京公演)
ただ一つの愛が歴史を変える事件を引き起こす、、、「本能寺の変」が舞台で蘇る!
西川右近ファンが待ちに待った「本能寺が燃える」東京公演まであと9日!
開催日時
2019年05月24日(金)
19:00【開演】18:30(開場)
2019年05月25日(土)
15:00【開演】14:30(開場)
2019年05月26日(日)
15:00【開演】14:30(開場)
会場 宝生能楽堂
東京都文京区本郷1丁目5-9
チケット料金
A席(脇正面席) 6,000円(税込)
S席(正面・中正面席) 8,000円(税込)
※未就学のお子様の入場はご遠慮ください。
主催・新作ミュージカル制作委員会/テレビ東京
詳細はホームページから確認ください
http://event.menicon-ba.co.jp/sp/event_info/event.php?id=148
南仏の香りがする、レモンとバジルのシャーベット
5月が終わろうとしており、地域によって既に毎日でもアイスが食べたい季節に入りました。
ので、本日のレシピは、リモンチェッロを少し入れるだけでアぺリテイフ代わりにできる、フレッシュ感が特徴のシャーベットです。
材料
(750㎖分くらい)
レモン汁・・・・・・・・・・・・・・・125㎖
フレッシュバジル・・・・・・・・・・・葉っぱのみ、5~7枚
グラニュー糖・・・・・・・・・・・・・80ℊ
水・・・・・・・・・・・・・・・・・・125㎖
卵白・・・・・・・・・・・・・・・・・卵一個分
オプション
リモンチェッロ・・・・・・・・・・・大匙1~2
*ハンドミキサー、アイスクリームメーカー、保存容器
オーガニック材料を使うべきか?
なるべくオーガニックまたは「農薬なし」の材料を使うのお勧めします。
体によい上に、檸檬をよく洗えば、皮まで使え、更に香ばしいミックス(アイスやシャーベットのアパレイユ)、つまり更においしいシャーベットを満喫できます!
作り方
1・シロップを作る。
鍋に水と砂糖を入れ、沸騰したら数分煮詰める。
火から下し、よく冷やす。
2・レモンとバジルの準備をする。バジルの葉をお好みで3~5枚細かく刻む。
3・シロップにバジルとレモン汁(*オプション+皮+リモンチェッロ)を加え、アイスクリームメーカーに流し入れ、スイッチを入れる。
4・ボウルに卵白を入れ、ハンドミキサーで泡立てて、メレンゲを作る。
5・③が固まり始めたら、注ぎ口からメレンゲをゆっくり加え、25分くらいで出来上がる。
6・保存容器に移し、冷凍庫に入れる。
㊟ シャーベットは火を通さないので、必ず新鮮な卵を使いましょう!!!
勿論数日間冷凍庫で保存できますが、卵が入っているアイスクリームとシャーベットはなるべく早く食べましょう。
Le Pont de Soie、(再)復活!
今年オープンしましたのに、Le Pont de Soieが既に二度ほど長く眠ることになり、大変申し訳なく思います。
ご存じの通り、春・初夏にはサーバー問題に悩まされましたが、夏から肩と腕をひどく痛めてしまい、後遺症が残らないようになるべくパソコンを使わず、絵も描かないように言われていました。
パソコン無しでは何もできないわけではありませんけれど、(当然ながら企画が採用される保証がありませんけれど)次の本も執筆中でも、将来の事を考えるべきかと何度も頭を抱えました。
念願が叶ってようやくサイトオープンできましたので、ル・ポン・ド・ソワが復活するのは時間の問題でしたが、恥ずかしながら最初から支えて下さった方々にご迷惑をかけたことは否定できません。
当サイトのFBページでフランスや日本に関するニュースなどをなるべくシェアしても、当然ながら、個人アカウントやブログはサイトと同様に本格的に更新できずにいましたとはいえ、不思議なことにFBで声をかけて下さる方々が日毎に増えており、メッセージをいっぱい頂きました。応援、心より感謝しています。
今日からル・ポン・ド・ソワを更新させて頂きます。
先日、前々から尊敬しているジャーナリストでありながら著者でもありテレビアナウンサーでもあるブノワ・シェニョ氏が新しいチャレンジに挑戦することになっていたことが偶然にわかりました。日本とはそんなに縁があるわけでもないブノワさんですが、色々な意味でフランス文化大使と呼べるのではと思いますので、彼をル・ポン・ド・ソワで紹介することになりました♫
数か月間色々と心配したり、焦ったりもしましたが、やはり「待たなければならなかった者に良いことがやってくる」のですね!
「愛は死よりも冷酷」原 智広氏によるロートレアモン論
当分の間更新できずにいましたが、秋に入って間もない頃に、原智広氏からロートレアモン論を頂きました。ル・ポン・ド・ソワのために態々書いて下さったオリジナルで、掲載できるのを光栄に思います。
原氏とは意外にもSNSで知り合いました。お互い翻訳家仲間の友人で、多少シュルレアリストなことにシュルレアリズムに関するお話が切っ掛けで実際にお会うことになり、原氏の強引さとまだ幼さが残っていることに驚きつつ、理想を追う頑固さ、精神的な純粋さに心を打たれました。妥協せずに真っ直ぐ進む原氏の言葉に皆様も心を鷲掴みにされ、シュルレアリズムをもっと知りたくなる筈です!
「愛は死よりも冷酷」
私は反抗を日々の糧とする文学青年?にすぎなかった。生きるのも死ぬのも同じことだと思っていた。ランボー、ロートレアモン、セリーヌ、アルトー、ジャック・ヴァシェ、ジャック・リゴー、アルチュール・クラヴァンが私にとって唯一の生きがいだった。私は霊魂の存在も来世も信じている。すべてが消え去り、崩れ去った、世界の終わりに匹敵するのは彼らだけであろうと。地球の軸は逆さまに動いている。取るに足らない文学的駄弁、神社での神隠し、浅はかな生と死、憑りついたこれらの死神、引き返すことは出来ない、引き返しては決してならない、学校にも行かなかった私は彼らと向き合うことが唯一生きていると実感できる時間だった。摩訶不思議な夢とも現実ともとれない極限の状態で私の記録はないものと同じだった。白紙のノート、その戦慄、単なる戦慄でしかないその戦慄自体が、また私にあの極限の存在を感じさせるのだった。「何に対してであれ絶望する必要なんてない」。本当にそうだろうか?ジャック・ヴァシェにジャン・サルマンが送った手紙の中にそんな言葉があったが、そんなわけがない。そんなことなどあり得ない。私にはもう死が憑りついていて、他者や死者の絶望を感受してしまうからだ。ヴァシェが言うように生と死には確固たる境界がある。そこに足を決して踏み入れてはならない。だが、一度足を踏み入れてしまっては引き返すことは決して出来ない。阿呆だと分かりつつも生と死を往来するのだ。その度に途轍もなく疲弊する。夢遊病者のように文学の周りを徘徊する、あんた死んでるよ、あんたもうとっくに死んでるよ、おいでなさい、さあ、おいでなさいよ、洞穴の中にある無数の手に招かれる。何もない、ここは無だ。真っ暗闇だった。すべて無意味なのだから、ガラクタの山、氷のような静けさ、アル中のような手の震え、ああ、そんなことは分かりきっている。だが、私は記録することも探求することも止めない。
アルトーはデンマークで捕まり精神病院に強制入院させられた。セリーヌは家を粉々に壊されて国家反逆罪の疑いで逮捕状が出され、デンマークまで亡命した。ヴァシェ、クラヴァン、リゴーは自殺した。私は何故死なないのか?常々疑問に思っている。だが、積極的に死のうとは思っていない。私にとっては、生きているのも死んでいるのも同じことで、やがて文学の死神が現れて、私の首を刎ねていくだろうと。そんな期待をしている。何という心地よさであろうか!
私は狂ってなぞいない。誰よりも熱心に真実を見ようとしている。狂気に陥ることなく、本来の狂気を取り戻そうとしているのだ。すなわち、生まれながらの狂者であるということをただちに自覚せねばなるまい。それは盲目のものが恋人の顔を見ようとするような行いだ。生活に疲弊し、私は随分と汚れてしまったようだ。凌駕されえない、凌駕されたもの、私は全世界の見えるものに喧嘩を売り、全世界の見えないものを保護している。芸術だって?私だって、そんなこと無意味なことくらい分かっている。そこまで愚かではない。私は死者に捧げているのだ。あなたたちではない。人間の永遠の悲願の血液を、神の手で製造される幾世紀もの年月を、呪術的イントネーションを、天才以上のものが要求される形態と記号の計算を、時間を奪い去ることはもう出来ない。歴史的倒錯、舌語、死滅し終焉し、始原神話、原文学、時間と空間と生と死を今日も往来する。血と影、血と生贄、生贄の血、影の血、影でもない血の鉄床、死体が多くの舌にひそかに触れられて、風がそよ風から突風に変わったとき、文学の死神はやってくる。幾千もの魂を背負いつつ、彼は一見苦悩しているようにも見えるが、実際には安らかだ。氷河のクレヴァスを飛ぶ矢、天と地の照応、残酷な波動、呪詛、実在性の疑念を消滅させるであろう。そこに物語は介在しない。香りも音も色も言葉もなくなる。そこにあるのは残余と触覚と心霊的リリスムの孵化である。失われたバロールとヴェルブの探索は我々の分身たちに一任する、開きかけの本の1ページに暗示されている、死や敗北をも貫く実在の矢、話す存在、話された存在、恐怖政治は先験的な価値を打ち砕く、その開花の邪魔をする。一個のメタロジー、無意識と潜在的意識の価値をスペクトルとともに暴き出す。その磨かれた結晶を鍛錬させよ、ベルクソン的な意味では無論ない。
実存的価値の結晶を、単純化と多様化の真の弁証法の核心、確かなシエマ、読心の方法、中介的感情、黒斑の小さな沼の表面、可能性を見つめているナルキッソス、それゆえ彼は思い出として語る。濃密な一句、人格の意識と美的経験の必要性、無感動はまず一つの価値である。意志の従属形態、現象学の軸に触れる、表情の細部の複数性と他者性、意味深長な瞼の開き方、時ならず寄る皺、悪徳の限りを尽くしてきた我々をもってしてもそれは無限ではない。嘘と誠のモザイクは融和を欠いてしまった。
狂気を狂気と感じぬこと、狂気ではなく、実際は正真正銘純潔なるこの世のものではない正気なのであるから。この半生半死たる(精神と魂は死に、肉体は生きる)私の精神と魂が1秒たらずで広辺な空間を飛翔していったという確信、あたかも未知の世界の全貌が私の眼には繰り広げられた。9年前だ、場所はプノンペンの薄汚いホテル、一種神秘的な畏敬を私に抱かせ、指が知らぬまに震え、怖気が全身に走り、何度も嘔吐し、生と死の狭間で私は3日間彷徨した。知性と共感、乖離した魂の力を私は常に従わせる。覚醒、誕生、人生を塗り替える。魂もまさに肉体と同じように呼吸する。そして我々は二度目の永遠の死を迎えるだろう。人格と記憶を失いつつも、生きざるを得ないからだ。異様な神経症、悪しき不完全な人間、全部が影のように見える。私に話しかける誰かはすべて歪んだ肖像のように見え、話しかけてくるもの、あらゆる権威すべてに私は唾を吐きかけた。
そんな中で私は10代からイジドール・デュカス(ロートレアモン伯爵)を熱心に読んでいた。このような陰鬱で毒だらけの書物に、荒れ果てた沼を横断するように、未踏の茨の道を突き進み、そうして私は彼の中に自分を見出すことになった。実際にこの書物は命にかかわる。放射性物質のようなものだ。進んでしまわないように引き返せとイジドールは言っている。~のように美しい?本当にそうであろうか?幾人かのシュルレアリストが真似たこの比喩的表現は表面的なものにすぎなかった。実際にこの書物は極めて危険だ、幾人かだけが、危ない目に遭わずに苦い果実を味わうことが出来るかもしれない。他は亡霊になる。デュカスの文体は特殊である。実際にウルグアイに住み(両親はフランス人であったが)スペイン語とフランス語が流暢だったことを踏まえれば、この文体の奇妙さはその影響なのかもしれない。彼は毒虫にも及ぶ人類を創造した造物主を憎む。イジドールは神の存在をしっかり認めているようにも見受けられるが、私は神の存在は信じていない。
加虐と被虐の入り混じり、罵詈雑言、赤子のような眼差し、イジドールは混乱を、錯乱を放置する。治癒しようなんぞ全く思っていない。ひたすら呪詛、滅茶苦茶な言語感覚、イジドールの中では淫売か聖女しかいない。自殺、或いは誰かに殺して貰いたいという欲望もうかがえる。イジドールの死を私は自殺だと思っているが、これは縄に首をかけるとかそういう積極的な自殺ではなく、緩やかに餓死をするという選択肢を選んだように思う。イジドールの部屋の荷物にはピアノしかなかった。彼の神経描写。死んだ作者は現世に浮遊し、人間の醜悪さの実例を楽しむのだ。夜は眠りたくないので考えこむ。根の暗い憎しみの荒れ狂う波動、彼は発狂寸前になる。別れの相関歌を歌いながら深夜のパリの路地を歩く。びっしりと詰まった言葉たちが彼の行く末を阻む。言葉はある種の呪いである。彼のような書き方をすれば当然その呪いは全部自分に跳ね返ってくる。イジドールは夜にしか書かなかった。そしていつもピアノの前に座った。大量のコーヒーとハシュシュ、知性と無意識に身を委ねた。彼の感受性は人間の美しさのもっとも美しい現れを見る。乱雑な幻想物語。卑猥で残酷な反作用。狂気を信じている人は一体どういう人間なのだろう?アルトーもイジドールも狂人だと言われはしたが、本物の狂人はものを書かない。狂気は何も説明なんぞ出来ない。狂気と罵る人々は新しい芸術形式を認めない、ただそれだけのことだ。イジドールは神、人間、悪、善、真実、虚偽、感情、文学を否定し、霊感や自由そのもの。そして生命までも否定した。このような書き手が他にいるだろうか?
絶対否定は、ヴァシェやクラヴァン、リゴーがそうであったように自殺に必然的に辿り着く。ヴァシェは実際に、恐らく辛辣な中傷家だったことを踏まえると、日常的に誰彼構わず話かけて、挑発し、激高させて遊んでいた。芸術や詩作、文学をやることに彼は一切興味がなかった。スキャンダルとしての芸術、無意識の状態で何の躊躇もなく騒乱の中に、喧噪の中に飛び込んでいった。恐らくこの行動はアルフレッド・ジャリの影響であり、異常なまでに拳銃に愛着があった。その点ではジャック・リゴーも同じだろう。
肺病み患者の、神秘の犬の、秘宝伝授者の、悪魔との契約の、霊回りの磁気的呼吸の、神経の中の乱脈の果ての、語の充溢の、引き裂かれた先導者の、不名誉な形容詞の、見者であることを想像する上での、野放しの接触しないエートルの、自己形相的哲学者の、殺人的な砂の風景の、詩人のインクで書いた闇に紛れた黒の、光と壮麗さを投げかける現代の眼の、具象と非具象の争いの露散の、注射器から注入された心理的文学主義の、仏和辞典の全パージを破り捨て残った残骸のç Æ Œ O Z C C Qの、死刑囚独房での痙攣のような歯ぎしりの、シニフィアンの役割は人を混乱させるという意味において有意義であるが、それは逆さまの本を読むようなことであり、現象学、実体化の、狂人としてつくられる空白から、晴れた雲に暗闇が被う、詩の機能的役割のプログラムの、言説の言語学的諸範疇の、結核とコレアとマラリア、検査を受けてくださいという名もないケニアの黒人医者の・・・
幻聴?迷夢?実際、それはすべて夢だった。だが夢は現実よりも遥かに残酷で、現実に近いのだ。
自分自身を誰しも自分がコントロールしていると考えるだろう。それは違う。バロウズの言うように我々は無意識に操られている。アクサンシルコンフレクス、アクサンテギュ、アクサングラーヴ、セディーユ、トルマ、これが一体何を意味すると?馬鹿げている。実際、イジドールが語ったのは言葉ではない。私たちの細胞に侵入してくるウイルスのようなものだ。外界への廃棄と分離、私は私ではない。意識は観念を嘔吐する。嘔吐した言語は時に素晴らしい輝きを放つ。あらゆるものが眠る墓、そこで奴らは実際に我々を待っている、裏切り=暴露、何一つ私は理解出来ず、停滞したままだ。私は思考の一切を放棄する。自分自身をバロールや言葉の錯綜、意識と無意識の狭間で、作り上げる。先験的に、先天的にこう言おうか。「生まれながらに狂人であった」と。そんな馬鹿げたことはあるだろうか。私は狂気を返還する。社会の中にこの狂気の病原菌をテロリストとしてばら撒くとしよう。実に愉快で滑稽だ。人間なんて薄汚い豚のような生き物は私も含めてすべて滅びてしまえばいい!
「自然の諸法則の、潜在する諸機能のなかに、異常な歪みを目撃するのは、できないことではない。」
皆殺しの日々を送るイジドール、ありとあらゆるものに唾を吐きかけ、無視する。沈黙、神の摂理なんぞ望まない、セラファンとの異常接近、イジドールははっきりと方向を定めない循環の特殊な動きの結果、集団そのものの展開の総体的な運行を手に入れた。辛辣なアイロニーに薄汚い腸にナイフを突き刺し、全快不能にとどめを刺す。彼は狂い、彼は死ぬ。30年以上も眠っていない不眠の決意。昼間は出歩かず、夜はかっぱらいに精を出す。神の支配よ、糞食らえ!不思議な葬列の描写がまた始まる。珍妙な論理の乱入、ああ、死刑執行人よ、私の生存に終止符を打ってくれないだろうか。イジドールにとってすべてが闇であり、すべての存在は敵であり、すべてが攻撃の対象だった、マルドロールの歌は悪魔の書だ。霊感と不可思議、私も実際にこの麻薬のような書物を受け入れてしまった。そしてすべてが空しくなった。私もそうだが、イジドールも恐らく女性嫌いだったに違いない。少女でさえ売春婦になるに違いないと毒づいているのだから。この青年はきっと船旅を好んだに違いない。私には風と海の匂いがするのが分かる。ああ、老いたる海神よ、宇宙の渦のような深海に跡形もなく消えてしまわないように。インクの濡れた表面はランプの光に照らされる。イジドールが見ているのは我々が知覚している風景ではなく、未来の不確かさ、絶望的な着想の力強さ、不信仰と絶望、過去の軽視、こうやって、イジドールは悪にたどり着く。イジドールは実際に神をぎりぎりまで追い詰めた。類まれなる言葉の乱調によって、未知なる軌跡を辿っていく、無論そこには無しかなかったが。
私は十代の頃熱心に石井洋二郎訳の「マルドロールの歌」を熱心に読み、模写していた。通りすがりの地元民によく何を書いてるの?と聞かれたが、私は無視したが、あまりにしつこいと、地獄への片道切符だと答えた。誰も彼もかっぱらいになっちまえばいい、国家に反逆したらいい、コンピューター、情報などは全部捨てて、原始に戻ろうというのが当時の私の思想で、あまりに浅はかな行為だった。願いが叶ったとしてもそれは結局、今いる現実の遥か彼方にいる。私の苦しみを誰も理解しようとはしなかった。私は沈黙に身を沈めた。もし私が少しの幸福を感じることがあったとしたら、完全無比の沈黙の中だけだった。想像しうる限りの不快感が私に纏わりつく。書くことでしか、私は自分を救う手段はなかった。凍りついてしまうような蝋人形。私は終末を夢みていた。思い出なんぞあるわけがない。物事には必ず理由があってそれについて話せるはずだと、ある同居人に言われたが、私は何も説明出来なかった。沈黙の中に感じ取った亡霊を払いのけるために。私は絶望を忘れることが出来るのか?人と同じように感情を共有し笑いあったり出来るのか?不可能だった。時間は決して届かない。私自身の存在はもう既に消えている。もはや生命を宿すことのない寒々としたものたち。沈黙と死と悲観、最後の別れ、私には何もなかった。そして、墓の彼方から無数の手が私を誘き寄せていた。われわれの世界は別のある世界に結びついていて、その世界は通常目に見えないが、ある決定的なことが起こると世界の崩壊から救ってくれんばかりに一切が生起する。人間を困惑させ、憔悴させ、動揺させ、目を眩ませて盲目になる。魂はそして無知になる。脈絡のなさは常に不合理なものである。不明瞭さに反論の余地はない。世界は混沌としており、誰の手をもってしても解き明かすことは出来ない。だが、その片鱗を掴み取ることは出来る。イジドールのように。暗黒の物神に手を染めるならば。赤茶けた水滴が顔に滴り落ち、眼球に直接、毒が染みる。イジドールのポエジーを読むと異常なまでの焦りと苛立ちが見受けられる。吐血するような告白。時間のなかで時間とともに創られていく進行する創造物、最終結論を求めよと?宿命がイジドールに降りかかる。神に反逆することは実際にこの世の不幸のすべてを背負うことになる。
「僕は悪を認めない。人間は完全だ。魂は落ちない。進歩はある。善は不屈だ。無神論者、弾劾の天使、永劫の罰、宗教などは懐疑の産物だ」。
地獄の荒野の中でイジドールの声が響き渡る。死の魅力に対する遠吠え。狂気からの逸脱、顔と顔を見合わせてお互いに反映し合う堕落した想像力、精神は支配されており、悪霊の隊列にいつの間にか巻き込まれてしまう。行先も心得ぬイジドール、ああ!「恐るべき永遠なるものよ」だが、もうたくさんなのだ。難破した船のように、精神は不安定で、私は夜中にケニアやナイジェリア、南アフリカ、インド、モロッコ、タンザニアなど、フラフラと夜道を歩くのがとても好きだった。モロッコでは毎回深夜の3時くらいに開くお店があってそこのミルクティーはとても美味かった。残酷な味がした。そしてイジドールの言葉を思い出す。「乱脈の果てに、淫売と条件をかたくむすんだ。この危険なる堤携にさきだつ夜に」。
過ぎていくのは神でもなく、私でもない。モスクのコーランが流れる、さあ、饗宴の始まりだ!どうして私を誰も殺してくれないのだろうか?散歩の途中で私は引き返すことはない、静かな音と大気が微粒子と共に混ざり合っていた。私は幸運なことに大恋愛をしてこなかった、決してそれを物語ることがあってはいけないのであるから。愛することを強制されないことは救いだ。私は実際に誰のことも愛したことがない、自分自身でさえも。非人称的な渦巻きのような感覚的中心、私は偶然世界に不幸にも堕とされてしまったのだ。
私の祖父の兄は作家だったらしい。真意は定かではないが、吉川英治と友人で、よく同じ雑誌に掲載されていたと母は言っていた。そして、何かの文学賞の候補に選ばれたが、落選したと母から聞いた。その直後に祖父の兄は自殺した。20歳だった。そのことがあったせいなのか、私は無意識に自殺に関心を抱き、自らを突き動かす要因なのではないかと時折思う。父の家系も母の家系も破天荒な人ばかりで、3人も自殺している、一人は産廃屋、一人は占い師、一人は金貸しだったと聞いた。私はその呪いをすべて背負っているような気さえするのだ。一時期浦和に住んでいたが、そこは不気味な家で競売物件だった。一番奥の部屋に物音や無数の影のようなものが見え、毎晩私はうなされた。私以外は誰もその存在に気づいていなかった。母にいっても取り合ってくれなかったので、祖母がきたときに、カーテンを閉めて、部屋を開けないこと、窓の付近にお花を生ければ大丈夫だと教えてくれた。そして私に数珠をくれた。祖母は有名な霊能者だったが、そのことでお金をとることは一度もなかった。私もそういう仕事がしたいと懇願したが、あれだけ優しかった祖母に物凄い剣幕で怒られた。あの時の祖母の形相だけは忘れられない。実際に人からの信頼も失うし胡散臭い人間だと思われるので、こんなことは言いたくもないが、実際に霊魂は確実に存在するし、科学的には確実に証明出来ない不可思議な現象は確実にある。ただ、それが人間の理解の範疇を超えていて、説明できないだけのことだ。別の世界も確実にある。だが、あなたたちは見ようとしないから気づかないだけの話だ。見ようとすればするほど死期は早まる。イジドールやランボーもそうだが、彼らはあまりに足を踏み入れすぎた。脈絡のある夢も、脈絡のない夢も、並行世界として同時にあるように。最後の死だ。私はもうすぐ死ぬだろう。
生きること?生きること?はたして。私に眠れるときがくるのであろうか。直接的感覚が眼球をなぞる。消え去ったランプ、偽造された思い出、漠然とした苦悩、悲しんでいると?哀れだと?そんなことはない。私は好きでこの道を選んだのだ。言葉の裏を読み取ること。世界の裏側を暴くこと。
生きていると感じた瞬間、幸福であると感じた瞬間、私はすべてを失うだろう。
原 智広 (ハラ トモヒロ) 1985年生まれ。中卒。作家、翻訳家、脚本家。映画『日本零年3部作』の脚本と原作を執筆。映画『イリュミナシオン』『デュアル・シティ』(共に長谷川億名監督)の原作、プロデュース、脚本を担当。boidマガジンにて映画批評を月1で連載中。 訳著にジャック・ヴァシェの翻訳と死後の架空の自伝、シュルレアリストによる自殺に関するアンケートを集成した『戦時の手紙 ジャック・ヴァシェ大全』(河出書房新社)
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Galette des Rois express aux pommes ガレットデロワ・エキスプレス・オ・ポーム
エピファニーのお菓子
明日は一月の第一日曜日、言葉を変えればエピファニー(公現祭)、つまり東方の三賢者がようやくベスレエムに辿り着き、生まれたばかりのイエスを神の子として認めたことを祝う日、です。
ここ数年日本で話題になってきたガレットデロワというフランスの伝統菓子を食べる日でもあります。
元々カトリック系の国であるフランスでは大昔からエピファニーに纏わるしきたりが多く、特定のお菓子を食べるのはそのうちの一つだったりします。お菓子こそは地域によって異なりますが、基本的にバターやアーモンド、フリュイーコンフィーなど(昔なら)貴重で非常に高い材料で作る特別なお菓子です。
フランス北部ではここ数年日本でも話題になってきたガレットデロワと呼ばれるフランジパーヌ入りのパイを、南部ではクーロンヌデロワ(”王の冠”)と呼ばれる、果物の砂糖漬けの入ったオレンジフラワー水風味の生地のブリオッシュを食べます。
20世紀後半から「お店で買うお菓子」と認識するフランス人も多いですが、どちらも家で作れます。
クーロンヌと違って、一年中冷凍パイ生地さえあれば子供と一緒に簡単に作れるお菓子なのでガレットは確かに人気がありますが、いくら「人気」があっても、日本の料理サイトでよく読むように主流になりつつあるわけ、、、ないです。
あと、一月にガレットまたはクーロンヌを食べるのはあまりに当たり前なのですが、「フランスではガレットを食べないと一年が始まらないと言うほど」というのも、最近よく耳にする日本の料理サイトで日本人が考えた日本人向けのキャッチフレーズでしかないです。
フェーブフィーバー?!
ガレットとクーロンヌにフェーブ(空豆)が仕込まれていますが、その理由はご存知ですか?
元々乾燥した空豆を使っていたのは生まれたばかりの赤ちゃんの寝姿にそっくりだからです。一言にいえば、生まれたばかりのイエスとかぶるからです。
1874年からドイツで初めて陶器製のフェーブが作られてから、様々な形をした陶器製・金製・(現代は)プラスチック製のフェーブが全ヨーロッパで作られるようになり、フェーブを集める人が割といます。フランス語ではそういうコレクションナーを”ファボフイール”と呼びます(フェーブを愛する人)
ガレットデロワ(王のガレット)、クーロンヌデロワ(王の冠)を食べて、そこに仕込まれてあるフェーブを見つけると、一日の王様または女王様になる習慣もあります。
王冠をかぶり、自分の一日の女王または王を選び、次に集まった時のガレットやクーロンヌを用意することになる、、、はずですですが、大抵の家庭では子供にフェーブを譲るのが普通です。
今年のレシピ
ブログを経営し始めて、ほぼ毎年ガレットの新しいレシピを考える私ですが、今年はミニオーブンとトースターしか使えず、フランジパーヌではなくリンゴのコンポート・カラメリゼ入りのミニ・ガレットのものすごく簡単なレシピをアップさせて頂きます。
材料
(2人分)
リンゴ・・・・・・・・・・・・(大)3個
塩バター・・・・・・・・・・・50ℊ
ヴァニラシュガー・・・・・・・20ℊ
グラニュー糖・・・・・・・・・80ℊ
水・・・・・・・・・・・・・・大匙3
ラム酒・・・・・・・・・・・・大匙1
冷凍杯シート・・・・・・・・・2枚
卵黄・・・・・・・・・・・・・卵1個分
*12~15㎝のセルクルかお皿 天板で焼けますので型があってもなくてもOK
作り方
下準備
冷凍杯シートを解凍し、セルクルか小さなお皿で型抜いて、一枚目をベーキングシートに移し、フォークで穴をあけておく。冷蔵庫に入れる。
リンゴの皮を剥き、種を除き、雑に切る
1・コンポートを作る
①鍋にリンゴとバニラシュガー/ラム酒と多少の水を入れ、15分くらい中火で煮る。火からおろし、ボールに移す。
⓶グラニュー糖とみず(大匙3)を鍋に入れ、きつね色になり始めたら、ゆっくり混ぜながら少しずつバターとりんご(①)を加える。
③ゆっくり混ぜながら、リンゴがカラメル色になるまで弱火で煮詰める。
2・パイ生地にコンポートを乗せ、刷毛でコンポートの周りに卵黄を塗る。
3・もう一枚のパイシートを被せ、フォークで縁を押し、ナイフで好きな模様を描き、卵黄を塗る。
4・オーブンを210℃で予熱し、20~25分焼く。
簡単パン・デピス pain d’épices facile
パンデピスは昔からフランスの定番おやつの一つとして知られており、蜂蜜とジンジャーが入っているので寒い時期に更においしく頂けます。
本日は作りやすくて、お好みに合わせていくらでもカスタマイズできるレシピを伝授します。
簡単パン・デピス pain d'épices facile
材料
(6人分)
小麦粉・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・200ℊ
ベーキングパウダー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小匙1
卵・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1個
無塩バター・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・100ℊ
牛乳・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・100㎖
蜂蜜・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・220ℊ
粗糖・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・60ℊ
シナモンパウダー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小匙1
ジンジャーパウダー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小匙1
ナツメグ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1ℊ
グローブ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1ℊ
オプション
オレンジピール、レモンピール、オレンジの砂糖漬け
スイートオレンジのオーガニックエッセンシャルオイル
干し葡萄 ナッツ等
飾り用に パールシュガー
*ポンドケーキ型
作り方
下準備
型の準備をする。
オーブンを180℃で予熱する
無塩バターを雑に切り、オーガニックまたは農薬ナシのオレンジがあればオレンジ一個分のゼストを取り除く。
カップに干し葡萄(大匙1~2)を入れ、お湯を注いで15分膨らませる。
1・鍋で牛乳を温め、沸騰させずに蜂蜜・粗糖・塩・バターを加え、溶けるまでゆっくり混ぜる。
2・ボウルに小麦粉を入れ、ベーキングパウダーを加え混ぜてから、①を加え、よく混ぜる。
3・シナモンパウダー・ジンジャーパウダー・ナツメグ・グローブ・オレンジのゼスト(+オレンジピールの砂糖漬けまたはスイートオレンジのエッセンシャルオイル或は干し葡萄かナッツなど)と卵を加え混ぜる。
4・ポンド型に流し入れ、(パールシュガーやオレンジピールを塗してから)40分くらいオーブンで焼く。
冷めてから型からはずして、食べます。蜂蜜が入っており、案外日持ちしますが日本は湿気が多いのでやはり蓋つきの保存容器に入れましょう。そのまま食べられますが、トースターで温めてみて下さい。バターとオレンジマーマレードでも塗ってみるとお紅茶とよく合うおやつになりますが、フランス人のようにフォワグラに添えたりすることもできますし、アぺリティフにもお勧めです!
11 novembre 1918 , 11 novembre 2018
En l'honneur de l'armistice , la publication d'aujourd'hui sera un texte uniquement en français.
Déjà cent ans .
Le 11 novembre 1918 , jusque là jour...
簡単テリーヌ
「テリーヌ」とは、「テリーヌ」と呼ばれる陶器などの蓋つき容器に入れるパテ類を示す言葉なので、その容器さえ使えれば、どの季節でも作れますが、多少保存もでき、トリューフやお酒を思いっきり使えるオーブン料理なだけに、必然的に秋と冬、クリスマスの定番料理の一つになりました。
本日は約束通り栗入りのファルスを使った簡単レシピを伝授させて頂きます。
材料
(10㎝のテリーヌx2または15㎝のテリーヌ)
ファルス・・・・・・・・・250ℊ http://lepontdesoie.media/クリスマス料理に使える栗入りのファルス
鶏のささみ・・・・・・・・300ℊ
コニャックまたはマデラ酒 少々
塩・白胡椒
豚脂がなければキャノラ油を少々
オプション 鴨のマグレ、豚ヒレなど
焼けば、ゼラチンよりはるかににおいしくて香ばしい天然ゼリーができますので、わざわざゼラチンを使う必要がありません
*テリーヌがなければ、ポンドケーキ型も使えます
作り方
下準備
キッチン鋏でささみをリボン挟みで状にする。
オプション 鴨のマグレ・お気に入りのお肉も加えたければ、ささみと同じように鋏で切る。
ボウルにお肉を入れ、コニャックかマデラ酒・塩胡椒も加え、(1時間~一晩中)マリネする
テリーヌの準備をする 豚脂またはラードをテリーヌに敷くか、テリーヌにキャノラ油を塗る
1・テリーヌの底に先ずファルスの一層目を敷き
2・①に肉のリボンを乗せる。
鳥のささ身しかなければ、模様を描くように鶏肉とファルスを鶏肉・ファルス・鶏肉・ファルスの順で乗せ、次の層は逆にファルス・鶏肉・ファルス・鶏肉の順で乗せてみましょう。
3・オーブンを予熱する(180℃)
4・蓋をかけて(蓋に穴が開いていなければアルミホイルかオーブンペーパーに穴を開けてそのまま敷いても可)オーブンで1時間くらい焼く。15~20センチのポンドケーキ型をご使用の際、1時間半くらい焼きますのでご注意ください。
5・焼き終わってから、十分冷めてから冷蔵庫に入れて一週間~10日間休ませる。
●すぐに食べられますが、簡単にスライスできませんので、ご注意下さい。
6・テリーヌを型からはずして、スライスして食べるのが普通です。
テリーヌは前菜にお勧めの一品ですが、サラダを添えて食べるとメインにもできます。白ワインとも赤ワインとも相性がいいのはテリーヌのもう一つの魅了くかと思います。
大森由紀子、特別講座!
料理界ではフランスのイメージを利用したり、レシピを自分なりにアレンジするプロが多いですが、心より尊敬できる方がそんなにいません。
大森由紀子先生は日本で既にフランス菓子に興味のある方の憧れの的ですが、フランス人である私から見ても、彼女こそ心より尊敬できる、フランスと日本の理想の架け橋で、見本にしたい人間です。
フランス語やフランスに関する知識を常に深めながら、シャンソンまで歌い、常にフランスの心に触れようとする大森先生は何と!8月にアテネフランセでフランス語の特別講座をすることになりました。テーマはもちろんお菓子です!
フランス語のレベルは問いませんけれど、受講レベルは入門I1です。受講料(7月11日まで)3400円 (7月12日以降)3600円になります。
ユチューブでも先生に会えます!
大森由紀子ユーチューブチャンネル
大森先生の本を読んでみましょう!
「わたしのフランス地方菓子」(柴田書店)
「フランス地方のおそうざい」(柴田書店)
「パリスイーツ」(料理王国社)「物語のあるお菓子」(NHK出版)
「ママンの味、マミーのおやつ」(文藝春秋)など著書20冊以上。
私のおススメは物語のあるフランス菓子―おいしいレシピとエピソード です。
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Le chocolat chaud d’Escoffier エスコフィエのショコラ・ショ
3月に入るなり、春を連想させる飲み物やお菓子を楽しめるのですが、寒い日や落ち込む時など、無性に温かいココアを飲みたくなることがあります。
冬の代表的な飲み物であるホットココアは、「飲み物」でありながら、コンフォートフードの部類に入っており、今回の大寒波のせいで寒さに震えるフランス人に必要なお薬なのではと思います。
ホットココアを作るのは簡単ですが、オーギュスト・エスコフィエのレシピをご存知ですか?パリのホテルリッツのバー・Le Vendôme(ル・ヴァンドーム)のお客様に特に人気があったショコラ・ショのレシピを伝授させて頂きます。
材料
(2人分)
牛乳・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・300㎖
生クリーム・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・350㎖
赤糖・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・20ℊ
ヴァニラ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1/2本
シナモンステイック・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1/2本
カバーチョコレートまたはココア70~80%のいたチョコレート・・・・200ℊ
作り方
下準備
バニラビーンズは縦にさき、包丁の刃先で種を取り出す。
おろし器か包丁で板チョコレートを削る
1-鍋に牛乳とヴァニラとシナモンを入れ、強火で温める。
2-牛乳(の表面)が震え始めたら、生クリームを加え、沸騰させずに2分間だけ泡立て器でよく混ぜる。
3-泡立て器で混ぜながら削られたチョコレートを加え、4分間沸騰させずに煮てから火から下し、
4-泡立て器十分かき立てる。(㊟ミキサーにかけても可)
カップに注ぐ時にシナモンステイックを取り除く。
●ホイップクリームがあれば、仕上げに載せて、ココアパウダーでも塗すことができますが、今風な盛り方だったりします。
ご存知だったのでしょうか?
オーギュスト・エスコフィエ(1846年10月28日 ~ 1935年2月12日)はヴィルヌーヴ・ルーベ(ニース近郊)で生まれた、 現代料理の父と謳われたフランスのシェフです。
13歳で叔父がニースで経営していたレストランで見習いを始めたエスコフィエですが、1880年代後半に 夏期に厨房を任されていたルツェルンのホテル・ナショナルでのセザーレ・リッツとの出会いと、その後の二人の協力関係が、世界中にいくつもの有名ホテルの設立に結実することとなり、二人の人生はもちろん、ガストロノミーの歴史を変えることになります。
オーストラリアのオペラ歌手ネリー・メルバやイタリアの作詞家のジョアキーノ・ロッシーニを記念して名づけられたデザートのピーチメルバや牛ひれ肉のロッシーニ風は、現在でも世界中で好評を博する、前世紀にエスコフィエの考案した料理です。
エスコフィエはホテルでの活動以外にもさまざまな分野で活躍し、現在は古典料理のレシピ集・教科書として用いられている『料理の手引き』 ( Le Guide Culinaire)を1903年に出版した。
ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世に「私はドイツ皇帝だが、あなたは料理の皇帝だ」という賛辞を与えられたエスコフィエが母国フランスで1920年に、シェフとして初のレジオンドヌール勲章(シュバリエ、勲爵士)受章者となり、1928年には同勲章のオフィシエ(将校)を受章している。同年に開かれた第1回世司厨士協会連盟会議では、連盟の初代名誉会長に選出されました。
美しき5月
あと少しで6月ですが、まだまだ5月です。
5月。フランス人曰く"美しき五月"は初夏というにはまだ早く、もう春でもなくなっている、幸せを呼ぶ花・スズランで始まり、そう遠くない過去まで聖母マリアを盛大に祝った、バラ香る時期です。
協力して下さり、支えて下さる方々には大変失礼ながら、当サイトは長いこと眠りましたが、ようやく復活します。
サーバーの問題がなければカンヌ映画祭に関する記事をアップする予定でしたが、ロペス・シェフから見たもう一つのカンヌ映画祭をテーマにした詩的な写真を展示させて頂きますので、乞うご期待!
よろしくお願い致します。
大森由紀子、特別講座!
料理界ではフランスのイメージを利用したり、レシピを自分なりにアレンジするプロが多いですが、心より尊敬できる方がそんなにいません。
大森由紀子先生は日本で既にフランス菓子に興味のある方の憧れの的ですが、フランス人である私から見ても、彼女こそ心より尊敬できる、フランスと日本の理想の架け橋で、見本にしたい人間です。
フランス語やフランスに関する知識を常に深めながら、シャンソンまで歌い、常にフランスの心に触れようとする大森先生は何と!8月にアテネフランセでフランス語の特別講座をすることになりました。テーマはもちろんお菓子です!
フランス語のレベルは問いませんけれど、受講レベルは入門I1です。受講料(7月11日まで)3400円 (7月12日以降)3600円になります。
ユチューブでも先生に会えます!
大森由紀子ユーチューブチャンネル
大森先生の本を読んでみましょう!
「わたしのフランス地方菓子」(柴田書店)
「フランス地方のおそうざい」(柴田書店)
「パリスイーツ」(料理王国社)「物語のあるお菓子」(NHK出版)
「ママンの味、マミーのおやつ」(文藝春秋)など著書20冊以上。
私のおススメは物語のあるフランス菓子―おいしいレシピとエピソード です。