2019 , année impériale à suivre…et archiver

Depuis le mois de mai a commencé l'ère Reiwa. Qui dit nouvelle ère dit évènements historiques majeurs. Bien évidemment,l'historien,l'étudiant ou le simple amoureux d'histoire moderne ou...

トマトモッツァレラチーズサラダ

コートダジュールの本格的なレシピではありませんけれど、コートダジュールに住んでいるイタリア系フランス人もイタリア人も多く、トマトとモッツァレラチーズのサラダが食卓に良く乗ります! 作り方がシンプルでありがたい筈なのに、なぜか人が余計な材料を加えたがるレシピだったりします! トマトをスライスして、塩を振る。モッツァレラチーズもスライスし、トマトに乗せ、オリーブ油をかける。最後に黒胡椒を振っても可。それだけでサラダが完成します。 嬉しいことに、トマトは最近流行りの古い種類を使ってみると味も少し変わり、見た目も印象に残ります。バジルはくわえても加えなくても大丈夫です。 ただ、スーパーの「ドレッシング」だけは忘れましょう。 フランス人は「ヴィネグレット」に慣れており、赤ワインヴィネガーを使う傾向が強いです。世界中では、ドレッシングやら、バルサミコ酢を使う人が増えましたが、、、、。本格的なトマトとモッツァレラサラダはオリーブ油しか使いません。トマトの酸味とオリーブ油とのマリアージュこそがトマトとモッツァレラチーズサラダの「特徴」とまで言えます。      

Galette des Rois express aux pommes  ガレットデロワ・エキスプレス・オ・ポーム

エピファニーのお菓子 明日は一月の第一日曜日、言葉を変えればエピファニー(公現祭)、つまり東方の三賢者がようやくベスレエムに辿り着き、生まれたばかりのイエスを神の子として認めたことを祝う日、です。 ここ数年日本で話題になってきたガレットデロワというフランスの伝統菓子を食べる日でもあります。 元々カトリック系の国であるフランスでは大昔からエピファニーに纏わるしきたりが多く、特定のお菓子を食べるのはそのうちの一つだったりします。お菓子こそは地域によって異なりますが、基本的にバターやアーモンド、フリュイーコンフィーなど(昔なら)貴重で非常に高い材料で作る特別なお菓子です。 フランス北部ではここ数年日本でも話題になってきたガレットデロワと呼ばれるフランジパーヌ入りのパイを、南部ではクーロンヌデロワ(”王の冠”)と呼ばれる、果物の砂糖漬けの入ったオレンジフラワー水風味の生地のブリオッシュを食べます。 20世紀後半から「お店で買うお菓子」と認識するフランス人も多いですが、どちらも家で作れます。 クーロンヌと違って、一年中冷凍パイ生地さえあれば子供と一緒に簡単に作れるお菓子なのでガレットは確かに人気がありますが、いくら「人気」があっても、日本の料理サイトでよく読むように主流になりつつあるわけ、、、ないです。 あと、一月にガレットまたはクーロンヌを食べるのはあまりに当たり前なのですが、「フランスではガレットを食べないと一年が始まらないと言うほど」というのも、最近よく耳にする日本の料理サイトで日本人が考えた日本人向けのキャッチフレーズでしかないです。 フェーブフィーバー?! ガレットとクーロンヌにフェーブ(空豆)が仕込まれていますが、その理由はご存知ですか? 元々乾燥した空豆を使っていたのは生まれたばかりの赤ちゃんの寝姿にそっくりだからです。一言にいえば、生まれたばかりのイエスとかぶるからです。 1874年からドイツで初めて陶器製のフェーブが作られてから、様々な形をした陶器製・金製・(現代は)プラスチック製のフェーブが全ヨーロッパで作られるようになり、フェーブを集める人が割といます。フランス語ではそういうコレクションナーを”ファボフイール”と呼びます(フェーブを愛する人) ガレットデロワ(王のガレット)、クーロンヌデロワ(王の冠)を食べて、そこに仕込まれてあるフェーブを見つけると、一日の王様または女王様になる習慣もあります。 王冠をかぶり、自分の一日の女王または王を選び、次に集まった時のガレットやクーロンヌを用意することになる、、、はずですですが、大抵の家庭では子供にフェーブを譲るのが普通です。 今年のレシピ ブログを経営し始めて、ほぼ毎年ガレットの新しいレシピを考える私ですが、今年はミニオーブンとトースターしか使えず、フランジパーヌではなくリンゴのコンポート・カラメリゼ入りのミニ・ガレットのものすごく簡単なレシピをアップさせて頂きます。     材料 (2人分)   リンゴ・・・・・・・・・・・・(大)3個 塩バター・・・・・・・・・・・50ℊ ヴァニラシュガー・・・・・・・20ℊ グラニュー糖・・・・・・・・・80ℊ 水・・・・・・・・・・・・・・大匙3 ラム酒・・・・・・・・・・・・大匙1   冷凍杯シート・・・・・・・・・2枚 卵黄・・・・・・・・・・・・・卵1個分   *12~15㎝のセルクルかお皿    天板で焼けますので型があってもなくてもOK   作り方   下準備 冷凍杯シートを解凍し、セルクルか小さなお皿で型抜いて、一枚目をベーキングシートに移し、フォークで穴をあけておく。冷蔵庫に入れる。 リンゴの皮を剥き、種を除き、雑に切る   1・コンポートを作る ①鍋にリンゴとバニラシュガー/ラム酒と多少の水を入れ、15分くらい中火で煮る。火からおろし、ボールに移す。 ⓶グラニュー糖とみず(大匙3)を鍋に入れ、きつね色になり始めたら、ゆっくり混ぜながら少しずつバターとりんご(①)を加える。 ③ゆっくり混ぜながら、リンゴがカラメル色になるまで弱火で煮詰める。 2・パイ生地にコンポートを乗せ、刷毛でコンポートの周りに卵黄を塗る。 3・もう一枚のパイシートを被せ、フォークで縁を押し、ナイフで好きな模様を描き、卵黄を塗る。 4・オーブンを210℃で予熱し、20~25分焼く。        

日本人がパリで働いてみて思ったこと Vol.1 by Monsieur A

今回マリエレーヌさんよりお声をかけていただき、日本人がパリで働いてみて感じたことについて私の6週間のパリ滞在の経験を含めて記事を作成させて頂くこととなりました。 普段私は、Monsieur AというペンネームでブログやSNSで日々気づいたことを書いたり、京都でフランス資本の旅行会社の仕事をしています。主にフランス語圏の方へお茶に関するガイドや神社仏閣の紹介、宿泊施設の管理をしております。海外の方からガイドの依頼を頂けるようブログやSNSにてフランス語で京都の神社仏閣やお茶関連の記事も執筆しております。パリ滞在中に経験したことを通して、日本人がフランスで働くということはどのようなことなのか、パリでの生活や文化の違いなど気づいたことについて記事に纏めていきますので是非一読頂けると嬉しく思います。滞在中の6週間を通して、毎週1記事パリの生活で感じたことを更新していく予定です。 目次 1.仕事について 2.パリに住んでみて 3.文化の違いについて 1.パリでの仕事について   前述の通り、普段は京都にてフランス資本の旅行会社から委託を受け、フランス語圏の方へのガイドや宿泊施設の管理を請負っております。 毎年1月、2月は日本の観光業も閑散期ということで、パリに滞在することになりました。パリに居る間に、現地パリにある事務所で同僚がどのように働いているのかを知りたかったので、滞在期間に少しお手伝いをさせて頂けることとなりました。 こちらの会社より業務委託を受けるまでは、大学を卒業してすぐに日本の貿易関係の会社で6年程働いていました。大学時代にフランス語を専攻し、フランスのアンジェへ1年間の留学経験があり、フランス語を使った仕事をいつかしてみたいと思っていたところ、フランス人の友達の紹介を経てこちらの会社へ転職することに決めました。 パリでの仕事は、お手伝いするという名目できている為、責任の共なる仕事はできませんが、いつも京都で働いている際に密に連絡を取り合うパリ支店の同僚達が具体的に何をしているのかを知る良い機会になると考えました。まだ6週間の滞在のうち初めの週が終わったばかりですが、実際にフランス人と仕事をしてみて日本と異なるところが沢山ありました。例えば、日本の会社へ勤めていた時は、約30分前には出勤していましたが、パリで同様に30分前に仕事に行くと「9時に来てください。」と言われました。 日本では、残業をすることが前提で仕事の割り振りが行われますが、こちらだとみんな定時に帰っています。 フランスでも会社により異なると思いますが、残業しても残業代が出ない、若しくは、それを望んでいないため定時には必ず帰る習慣になったのかも知れません。また、日本で仕事をしている時は、同僚との会話も少なくお菓子を食べたり、仕事中に席を立つことは珍しかったのですが、こちらでは皆んなよく話すし、笑顔で挨拶し、より楽しそうに働いているように感じました。 想像通り、フランスでは職の流動性があり労働条件をよくするために転職をするのは当たり前で離職率も高いみたいです。 同僚と話す際にもいつも転職の話題が上がっていたのでビックリしました。職の流動性があることは、個人的にはとても良いことだと思っています。自発的に行動すると自分がしたいことに辿りつきやすいのではないかと思うからです。勿論、二面性はありますが、日本社会とフランス社会の比較をし、どちらの社会が自分に合うのかを見極める良い機会となりました。 2.パリに住んでみて   私がパリに着いたのは、1月11日のお昼過ぎのことでした。冬は日本での仕事も落ち着く為、1ヶ月ほど大きな休み、フランスでいうバカンスを楽しむことができています。パリの物価はとても高い為、ポルトガルにいる友達のところへ2週間住まわせて頂きました。パリの物価がどれほど高いかというと、例えば、昼食時に同僚ととんかつを食べにいきました。 とんかつ定食がなんと15ユーロ、サラリーマンをしている時に食べた「かつや」のとんかつは650円程、なんと3倍の価格でこちらでとんかつ定食を頂いたのです。 農業大国であるフランスは、野菜やフルーツの価格は日本に比べても格段に安いのですが、外食に関しては日本よりも何倍も高いのです。 東京と同じくパリ内の家賃はとても高く郊外に住むのが恒例のようで、皆んな1時間以上かけて通勤していました。ただ、メトロは東京の満員電車のようにそれほど混んでいないで、無料の新聞を手に取り、毎日フランス語の練習のために読んでいました。週末は、京都でのフランスの方へのガイドを通して知り合った友達や留学時代の友達がいたので色々な場所につれて行ってもらいました。パリといえば、マレ地区やパリ6区あたりが本物のパリジャンが好む場所だと連れて行って頂き、ブラスリ(お洒落な大衆食堂?)にいき大きなシュークルートとミル・フィーユをたらふく頂きました。 個人的には、フランス料理が大好きでバゲットやフロマージュ、チョコレートやワイン、これらのフランスのガストロノミーに惹かれてフランスが好きになったのかも知れません。また、モンマルトルの丘にも行きました。観光客がいるエスカレーターがある側ではなく、小さな小道を通りサクレクールまで登ったのですが、まるで映画の「ミッドナイト・イン・パリ」の世界でした。帰りは古くからある独立系の映画館で9ユーロで映画を観てきました。映画の値段がもう少し安いイメージでしたので、残念に思いました。 1年間見放題というプランがあるのですが観光客向きではありません。 3.日本とフランスの文化の違いについて   東京からパリまで直行便で12時間30分、日本との時差8時間の国「フランス共和国」。 航空会社も競争の末に色々なサービスができフランスもそれ程遠い国ではなくなりました。時差のせいか少し到着後は、眠りが浅くなったりしますが、何日かたてばパリの生活が待っています。 上記でも記述した通り、仕事においても生活においても驚くところばかりです。日本は便利な国だけど戦後の焼け野原から一気に加速して建物を立てたせいかパリのような歴史的な建造物は街中に広がっていません。 パリの街を歩くと美しすぎて上を見上げていると、路上には犬の糞やタバコの吸い殻が至る所に落ちているので注意が必要です。フランスには街中に沢山ゴミ箱がありますが、日本にはあまりありません。コンビニに立ち寄って面倒を済ます日本の生活はとても好きで、夜にお腹が空いたり、日曜日に買い物に行こうとするとフランスでは店がしまっていることが多く不便な面もあります。 フランスでは日本と比べても乞食を街中でよく見かけます。日本のように空き缶を集めているのではなく、パフォーマンスをしたり、自分がどれだけ厳しい状況にいるのかをメトロで大声で叫んでお金をもらったりしています。 フランスはとても階級社会でお金持ちはお金持ちのままパリの真ん中の閑静な広い住宅に住み、綺麗な装いで犬の散歩をしたりしている中で、路上で倒れている人をあたかもいない存在かのように扱うので仰天してしまいます。 日本は仕事であふれていますが、フランスは労働条件を労働者がストやマニで主張するので失業率が高く、そのしわ寄せが若い世代に押しつけられている印象を受けました。 政治も文化も何もかもが違う国で働くことは新たな発見を産みます。 この記事を書いたMonsieur Aについて   関大仏文卒、アンジェに1年間留学していました。新卒から5年9ヶ月働いた貿易関係の会社を退職し、京都でフランス人へ日本の生活を体験して頂くサービスをしています。 ブログ:https://www.monsieura.net/ Twitter: https://twitter.com/daisuke13_a Instagram:https://www.instagram.com/monseiur_a/ Facebook:https://www.facebook.com/

Galette des Rois express aux pommes  ガレットデロワ・エキスプレス・オ・ポーム

エピファニーのお菓子 明日は一月の第一日曜日、言葉を変えればエピファニー(公現祭)、つまり東方の三賢者がようやくベスレエムに辿り着き、生まれたばかりのイエスを神の子として認めたことを祝う日、です。 ここ数年日本で話題になってきたガレットデロワというフランスの伝統菓子を食べる日でもあります。 元々カトリック系の国であるフランスでは大昔からエピファニーに纏わるしきたりが多く、特定のお菓子を食べるのはそのうちの一つだったりします。お菓子こそは地域によって異なりますが、基本的にバターやアーモンド、フリュイーコンフィーなど(昔なら)貴重で非常に高い材料で作る特別なお菓子です。 フランス北部ではここ数年日本でも話題になってきたガレットデロワと呼ばれるフランジパーヌ入りのパイを、南部ではクーロンヌデロワ(”王の冠”)と呼ばれる、果物の砂糖漬けの入ったオレンジフラワー水風味の生地のブリオッシュを食べます。 20世紀後半から「お店で買うお菓子」と認識するフランス人も多いですが、どちらも家で作れます。 クーロンヌと違って、一年中冷凍パイ生地さえあれば子供と一緒に簡単に作れるお菓子なのでガレットは確かに人気がありますが、いくら「人気」があっても、日本の料理サイトでよく読むように主流になりつつあるわけ、、、ないです。 あと、一月にガレットまたはクーロンヌを食べるのはあまりに当たり前なのですが、「フランスではガレットを食べないと一年が始まらないと言うほど」というのも、最近よく耳にする日本の料理サイトで日本人が考えた日本人向けのキャッチフレーズでしかないです。 フェーブフィーバー?! ガレットとクーロンヌにフェーブ(空豆)が仕込まれていますが、その理由はご存知ですか? 元々乾燥した空豆を使っていたのは生まれたばかりの赤ちゃんの寝姿にそっくりだからです。一言にいえば、生まれたばかりのイエスとかぶるからです。 1874年からドイツで初めて陶器製のフェーブが作られてから、様々な形をした陶器製・金製・(現代は)プラスチック製のフェーブが全ヨーロッパで作られるようになり、フェーブを集める人が割といます。フランス語ではそういうコレクションナーを”ファボフイール”と呼びます(フェーブを愛する人) ガレットデロワ(王のガレット)、クーロンヌデロワ(王の冠)を食べて、そこに仕込まれてあるフェーブを見つけると、一日の王様または女王様になる習慣もあります。 王冠をかぶり、自分の一日の女王または王を選び、次に集まった時のガレットやクーロンヌを用意することになる、、、はずですですが、大抵の家庭では子供にフェーブを譲るのが普通です。 今年のレシピ ブログを経営し始めて、ほぼ毎年ガレットの新しいレシピを考える私ですが、今年はミニオーブンとトースターしか使えず、フランジパーヌではなくリンゴのコンポート・カラメリゼ入りのミニ・ガレットのものすごく簡単なレシピをアップさせて頂きます。     材料 (2人分)   リンゴ・・・・・・・・・・・・(大)3個 塩バター・・・・・・・・・・・50ℊ ヴァニラシュガー・・・・・・・20ℊ グラニュー糖・・・・・・・・・80ℊ 水・・・・・・・・・・・・・・大匙3 ラム酒・・・・・・・・・・・・大匙1   冷凍杯シート・・・・・・・・・2枚 卵黄・・・・・・・・・・・・・卵1個分   *12~15㎝のセルクルかお皿    天板で焼けますので型があってもなくてもOK   作り方   下準備 冷凍杯シートを解凍し、セルクルか小さなお皿で型抜いて、一枚目をベーキングシートに移し、フォークで穴をあけておく。冷蔵庫に入れる。 リンゴの皮を剥き、種を除き、雑に切る   1・コンポートを作る ①鍋にリンゴとバニラシュガー/ラム酒と多少の水を入れ、15分くらい中火で煮る。火からおろし、ボールに移す。 ⓶グラニュー糖とみず(大匙3)を鍋に入れ、きつね色になり始めたら、ゆっくり混ぜながら少しずつバターとりんご(①)を加える。 ③ゆっくり混ぜながら、リンゴがカラメル色になるまで弱火で煮詰める。 2・パイ生地にコンポートを乗せ、刷毛でコンポートの周りに卵黄を塗る。 3・もう一枚のパイシートを被せ、フォークで縁を押し、ナイフで好きな模様を描き、卵黄を塗る。 4・オーブンを210℃で予熱し、20~25分焼く。        

本能寺が燃える (東京公演)

  ただ一つの愛が歴史を変える事件を引き起こす、、、「本能寺の変」が舞台で蘇る! 西川右近ファンが待ちに待った「本能寺が燃える」東京公演まであと9日! 開催日時 2019年05月24日(金)  19:00【開演】18:30(開場) 2019年05月25日(土)  15:00【開演】14:30(開場) 2019年05月26日(日)  15:00【開演】14:30(開場) 会場 宝生能楽堂 東京都文京区本郷1丁目5-9 チケット料金 A席(脇正面席) 6,000円(税込) S席(正面・中正面席) 8,000円(税込) ※未就学のお子様の入場はご遠慮ください。 主催・新作ミュージカル制作委員会/テレビ東京 詳細はホームページから確認ください http://event.menicon-ba.co.jp/sp/event_info/event.php?id=148

11 novembre 1918 , 11 novembre 2018

En l'honneur de l'armistice , la publication d'aujourd'hui sera un texte uniquement en français.    Déjà cent ans . Le 11 novembre 1918 , jusque là jour...

母の日!Fête des mères!

皆様こんにちは、マリエレーヌです。 殆んどの国では本日は母の日です! フランスでは5月の最後の日曜日で、日本と違ってカーネーションを贈る習慣も特にありません。 ここ数年、お花も流行に影響されているのもあって、フランス人が母の日に贈る花は季節からして主に牡丹と薔薇だったりします。 1949年頃からアメリカにならって母の日を祝うようになった日本ですが、母の日は、1907年、アメリカのアンナ・ジャービスが母の命日に、母が好きだった白いカーネーションを教会で配ったことがはじまりとされ、1914年にウィルソン米国大統領が5月の第2日曜日を母に感謝する日として記念日にしたのです。必然的にカーネーションを贈るようになりました。 ここだけの話、私はカーネーションと撫子両方がとても好きで、育てています。ニースのカーネーションが昔から非常に有名であり、フランス人にずっと愛されてきた花なのに、70年代後半から花業界のバラを売る作戦が原因か、「カーネーションは縁起が悪い」という噂が流れ始めて、最早「迷信」にまで昇格しました。 ここ数年また流行るようになったカーネーションがバラの代わりに熱愛を意味する花として贈られることが割とあり、「白と緑」の花束のブームで白いカーネーション・薄緑色のカーネーションが改めて大好評。 国によって花言葉も微妙に違いますが、調べてみれば、どの国でもカーネーションは基本的にぬるくない気持ちを伝える花です!深い愛情または熱愛、情熱と度胸、自由などという格好いい意味を持つ花だったことに改めて気付かされました。「大嫌いです!」と交際(プロポーズ)をお断るために使える紫のカーネーションまでが情熱そのものです。 では、皆様忘れられない母の日を! Bien que les français "exceptions" une fois de plus , s'apprêtent à honorer leurs mamans le dernier dimanche de mai , depuis qu'en 1914...

オレンジサラダ

クリスマス料理がいくらおいしくても、食事の途中で「口直し」が必要になることもあります。 友人のリョネルさん(元シャルキュトリー・食肉業者)から頂いた、イタリア系ニース人が冬になるとよく食べる、シンプルで酸味のある、食べやすいオレンジサラダを紹介させて頂きます。   材料 オレンジ・・・・・・・・・1人1/2個 オリーブ油 フルール・ド・セル(結晶化した海塩)黒胡椒   作り方 1・白い部分が残らないように気を付けながらオレンジをプレ・ア・ヴィフ(身が現れるまで皮を剥く)し、カルパッチオより少しだけ厚くスライスして、深皿に移す。 2・②にオリーブ油をかけ、黒胡椒を振って、冷蔵庫に入れる。 3・③が半日~一日冷蔵庫でマリネしてからフルールドセルで味を調えて食べる。 ●非常に作りやすいレシピです。が、シンプルなレシピほどおいしい材料を使わなければなりません!個人的には東南フランス産のオリーブ油を使う主義です。                    
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Billet de Belle Humeur…BBH!

Après les présentations et l'incontournable "édito", quel serait mon premier article à fouler le terrain encore vierge et plein de possibilités de ce site...

オレンジサラダ

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「愛は死よりも冷酷」原 智広氏によるロートレアモン論

当分の間更新できずにいましたが、秋に入って間もない頃に、原智広氏からロートレアモン論を頂きました。ル・ポン・ド・ソワのために態々書いて下さったオリジナルで、掲載できるのを光栄に思います。 原氏とは意外にもSNSで知り合いました。お互い翻訳家仲間の友人で、多少シュルレアリストなことにシュルレアリズムに関するお話が切っ掛けで実際にお会うことになり、原氏の強引さとまだ幼さが残っていることに驚きつつ、理想を追う頑固さ、精神的な純粋さに心を打たれました。妥協せずに真っ直ぐ進む原氏の言葉に皆様も心を鷲掴みにされ、シュルレアリズムをもっと知りたくなる筈です!     「愛は死よりも冷酷」   私は反抗を日々の糧とする文学青年?にすぎなかった。生きるのも死ぬのも同じことだと思っていた。ランボー、ロートレアモン、セリーヌ、アルトー、ジャック・ヴァシェ、ジャック・リゴー、アルチュール・クラヴァンが私にとって唯一の生きがいだった。私は霊魂の存在も来世も信じている。すべてが消え去り、崩れ去った、世界の終わりに匹敵するのは彼らだけであろうと。地球の軸は逆さまに動いている。取るに足らない文学的駄弁、神社での神隠し、浅はかな生と死、憑りついたこれらの死神、引き返すことは出来ない、引き返しては決してならない、学校にも行かなかった私は彼らと向き合うことが唯一生きていると実感できる時間だった。摩訶不思議な夢とも現実ともとれない極限の状態で私の記録はないものと同じだった。白紙のノート、その戦慄、単なる戦慄でしかないその戦慄自体が、また私にあの極限の存在を感じさせるのだった。「何に対してであれ絶望する必要なんてない」。本当にそうだろうか?ジャック・ヴァシェにジャン・サルマンが送った手紙の中にそんな言葉があったが、そんなわけがない。そんなことなどあり得ない。私にはもう死が憑りついていて、他者や死者の絶望を感受してしまうからだ。ヴァシェが言うように生と死には確固たる境界がある。そこに足を決して踏み入れてはならない。だが、一度足を踏み入れてしまっては引き返すことは決して出来ない。阿呆だと分かりつつも生と死を往来するのだ。その度に途轍もなく疲弊する。夢遊病者のように文学の周りを徘徊する、あんた死んでるよ、あんたもうとっくに死んでるよ、おいでなさい、さあ、おいでなさいよ、洞穴の中にある無数の手に招かれる。何もない、ここは無だ。真っ暗闇だった。すべて無意味なのだから、ガラクタの山、氷のような静けさ、アル中のような手の震え、ああ、そんなことは分かりきっている。だが、私は記録することも探求することも止めない。 アルトーはデンマークで捕まり精神病院に強制入院させられた。セリーヌは家を粉々に壊されて国家反逆罪の疑いで逮捕状が出され、デンマークまで亡命した。ヴァシェ、クラヴァン、リゴーは自殺した。私は何故死なないのか?常々疑問に思っている。だが、積極的に死のうとは思っていない。私にとっては、生きているのも死んでいるのも同じことで、やがて文学の死神が現れて、私の首を刎ねていくだろうと。そんな期待をしている。何という心地よさであろうか! 私は狂ってなぞいない。誰よりも熱心に真実を見ようとしている。狂気に陥ることなく、本来の狂気を取り戻そうとしているのだ。すなわち、生まれながらの狂者であるということをただちに自覚せねばなるまい。それは盲目のものが恋人の顔を見ようとするような行いだ。生活に疲弊し、私は随分と汚れてしまったようだ。凌駕されえない、凌駕されたもの、私は全世界の見えるものに喧嘩を売り、全世界の見えないものを保護している。芸術だって?私だって、そんなこと無意味なことくらい分かっている。そこまで愚かではない。私は死者に捧げているのだ。あなたたちではない。人間の永遠の悲願の血液を、神の手で製造される幾世紀もの年月を、呪術的イントネーションを、天才以上のものが要求される形態と記号の計算を、時間を奪い去ることはもう出来ない。歴史的倒錯、舌語、死滅し終焉し、始原神話、原文学、時間と空間と生と死を今日も往来する。血と影、血と生贄、生贄の血、影の血、影でもない血の鉄床、死体が多くの舌にひそかに触れられて、風がそよ風から突風に変わったとき、文学の死神はやってくる。幾千もの魂を背負いつつ、彼は一見苦悩しているようにも見えるが、実際には安らかだ。氷河のクレヴァスを飛ぶ矢、天と地の照応、残酷な波動、呪詛、実在性の疑念を消滅させるであろう。そこに物語は介在しない。香りも音も色も言葉もなくなる。そこにあるのは残余と触覚と心霊的リリスムの孵化である。失われたバロールとヴェルブの探索は我々の分身たちに一任する、開きかけの本の1ページに暗示されている、死や敗北をも貫く実在の矢、話す存在、話された存在、恐怖政治は先験的な価値を打ち砕く、その開花の邪魔をする。一個のメタロジー、無意識と潜在的意識の価値をスペクトルとともに暴き出す。その磨かれた結晶を鍛錬させよ、ベルクソン的な意味では無論ない。 実存的価値の結晶を、単純化と多様化の真の弁証法の核心、確かなシエマ、読心の方法、中介的感情、黒斑の小さな沼の表面、可能性を見つめているナルキッソス、それゆえ彼は思い出として語る。濃密な一句、人格の意識と美的経験の必要性、無感動はまず一つの価値である。意志の従属形態、現象学の軸に触れる、表情の細部の複数性と他者性、意味深長な瞼の開き方、時ならず寄る皺、悪徳の限りを尽くしてきた我々をもってしてもそれは無限ではない。嘘と誠のモザイクは融和を欠いてしまった。 狂気を狂気と感じぬこと、狂気ではなく、実際は正真正銘純潔なるこの世のものではない正気なのであるから。この半生半死たる(精神と魂は死に、肉体は生きる)私の精神と魂が1秒たらずで広辺な空間を飛翔していったという確信、あたかも未知の世界の全貌が私の眼には繰り広げられた。9年前だ、場所はプノンペンの薄汚いホテル、一種神秘的な畏敬を私に抱かせ、指が知らぬまに震え、怖気が全身に走り、何度も嘔吐し、生と死の狭間で私は3日間彷徨した。知性と共感、乖離した魂の力を私は常に従わせる。覚醒、誕生、人生を塗り替える。魂もまさに肉体と同じように呼吸する。そして我々は二度目の永遠の死を迎えるだろう。人格と記憶を失いつつも、生きざるを得ないからだ。異様な神経症、悪しき不完全な人間、全部が影のように見える。私に話しかける誰かはすべて歪んだ肖像のように見え、話しかけてくるもの、あらゆる権威すべてに私は唾を吐きかけた。 そんな中で私は10代からイジドール・デュカス(ロートレアモン伯爵)を熱心に読んでいた。このような陰鬱で毒だらけの書物に、荒れ果てた沼を横断するように、未踏の茨の道を突き進み、そうして私は彼の中に自分を見出すことになった。実際にこの書物は命にかかわる。放射性物質のようなものだ。進んでしまわないように引き返せとイジドールは言っている。~のように美しい?本当にそうであろうか?幾人かのシュルレアリストが真似たこの比喩的表現は表面的なものにすぎなかった。実際にこの書物は極めて危険だ、幾人かだけが、危ない目に遭わずに苦い果実を味わうことが出来るかもしれない。他は亡霊になる。デュカスの文体は特殊である。実際にウルグアイに住み(両親はフランス人であったが)スペイン語とフランス語が流暢だったことを踏まえれば、この文体の奇妙さはその影響なのかもしれない。彼は毒虫にも及ぶ人類を創造した造物主を憎む。イジドールは神の存在をしっかり認めているようにも見受けられるが、私は神の存在は信じていない。 加虐と被虐の入り混じり、罵詈雑言、赤子のような眼差し、イジドールは混乱を、錯乱を放置する。治癒しようなんぞ全く思っていない。ひたすら呪詛、滅茶苦茶な言語感覚、イジドールの中では淫売か聖女しかいない。自殺、或いは誰かに殺して貰いたいという欲望もうかがえる。イジドールの死を私は自殺だと思っているが、これは縄に首をかけるとかそういう積極的な自殺ではなく、緩やかに餓死をするという選択肢を選んだように思う。イジドールの部屋の荷物にはピアノしかなかった。彼の神経描写。死んだ作者は現世に浮遊し、人間の醜悪さの実例を楽しむのだ。夜は眠りたくないので考えこむ。根の暗い憎しみの荒れ狂う波動、彼は発狂寸前になる。別れの相関歌を歌いながら深夜のパリの路地を歩く。びっしりと詰まった言葉たちが彼の行く末を阻む。言葉はある種の呪いである。彼のような書き方をすれば当然その呪いは全部自分に跳ね返ってくる。イジドールは夜にしか書かなかった。そしていつもピアノの前に座った。大量のコーヒーとハシュシュ、知性と無意識に身を委ねた。彼の感受性は人間の美しさのもっとも美しい現れを見る。乱雑な幻想物語。卑猥で残酷な反作用。狂気を信じている人は一体どういう人間なのだろう?アルトーもイジドールも狂人だと言われはしたが、本物の狂人はものを書かない。狂気は何も説明なんぞ出来ない。狂気と罵る人々は新しい芸術形式を認めない、ただそれだけのことだ。イジドールは神、人間、悪、善、真実、虚偽、感情、文学を否定し、霊感や自由そのもの。そして生命までも否定した。このような書き手が他にいるだろうか? 絶対否定は、ヴァシェやクラヴァン、リゴーがそうであったように自殺に必然的に辿り着く。ヴァシェは実際に、恐らく辛辣な中傷家だったことを踏まえると、日常的に誰彼構わず話かけて、挑発し、激高させて遊んでいた。芸術や詩作、文学をやることに彼は一切興味がなかった。スキャンダルとしての芸術、無意識の状態で何の躊躇もなく騒乱の中に、喧噪の中に飛び込んでいった。恐らくこの行動はアルフレッド・ジャリの影響であり、異常なまでに拳銃に愛着があった。その点ではジャック・リゴーも同じだろう。 肺病み患者の、神秘の犬の、秘宝伝授者の、悪魔との契約の、霊回りの磁気的呼吸の、神経の中の乱脈の果ての、語の充溢の、引き裂かれた先導者の、不名誉な形容詞の、見者であることを想像する上での、野放しの接触しないエートルの、自己形相的哲学者の、殺人的な砂の風景の、詩人のインクで書いた闇に紛れた黒の、光と壮麗さを投げかける現代の眼の、具象と非具象の争いの露散の、注射器から注入された心理的文学主義の、仏和辞典の全パージを破り捨て残った残骸のç Æ Œ O Z C C Qの、死刑囚独房での痙攣のような歯ぎしりの、シニフィアンの役割は人を混乱させるという意味において有意義であるが、それは逆さまの本を読むようなことであり、現象学、実体化の、狂人としてつくられる空白から、晴れた雲に暗闇が被う、詩の機能的役割のプログラムの、言説の言語学的諸範疇の、結核とコレアとマラリア、検査を受けてくださいという名もないケニアの黒人医者の・・・ 幻聴?迷夢?実際、それはすべて夢だった。だが夢は現実よりも遥かに残酷で、現実に近いのだ。  自分自身を誰しも自分がコントロールしていると考えるだろう。それは違う。バロウズの言うように我々は無意識に操られている。アクサンシルコンフレクス、アクサンテギュ、アクサングラーヴ、セディーユ、トルマ、これが一体何を意味すると?馬鹿げている。実際、イジドールが語ったのは言葉ではない。私たちの細胞に侵入してくるウイルスのようなものだ。外界への廃棄と分離、私は私ではない。意識は観念を嘔吐する。嘔吐した言語は時に素晴らしい輝きを放つ。あらゆるものが眠る墓、そこで奴らは実際に我々を待っている、裏切り=暴露、何一つ私は理解出来ず、停滞したままだ。私は思考の一切を放棄する。自分自身をバロールや言葉の錯綜、意識と無意識の狭間で、作り上げる。先験的に、先天的にこう言おうか。「生まれながらに狂人であった」と。そんな馬鹿げたことはあるだろうか。私は狂気を返還する。社会の中にこの狂気の病原菌をテロリストとしてばら撒くとしよう。実に愉快で滑稽だ。人間なんて薄汚い豚のような生き物は私も含めてすべて滅びてしまえばいい! 「自然の諸法則の、潜在する諸機能のなかに、異常な歪みを目撃するのは、できないことではない。」 皆殺しの日々を送るイジドール、ありとあらゆるものに唾を吐きかけ、無視する。沈黙、神の摂理なんぞ望まない、セラファンとの異常接近、イジドールははっきりと方向を定めない循環の特殊な動きの結果、集団そのものの展開の総体的な運行を手に入れた。辛辣なアイロニーに薄汚い腸にナイフを突き刺し、全快不能にとどめを刺す。彼は狂い、彼は死ぬ。30年以上も眠っていない不眠の決意。昼間は出歩かず、夜はかっぱらいに精を出す。神の支配よ、糞食らえ!不思議な葬列の描写がまた始まる。珍妙な論理の乱入、ああ、死刑執行人よ、私の生存に終止符を打ってくれないだろうか。イジドールにとってすべてが闇であり、すべての存在は敵であり、すべてが攻撃の対象だった、マルドロールの歌は悪魔の書だ。霊感と不可思議、私も実際にこの麻薬のような書物を受け入れてしまった。そしてすべてが空しくなった。私もそうだが、イジドールも恐らく女性嫌いだったに違いない。少女でさえ売春婦になるに違いないと毒づいているのだから。この青年はきっと船旅を好んだに違いない。私には風と海の匂いがするのが分かる。ああ、老いたる海神よ、宇宙の渦のような深海に跡形もなく消えてしまわないように。インクの濡れた表面はランプの光に照らされる。イジドールが見ているのは我々が知覚している風景ではなく、未来の不確かさ、絶望的な着想の力強さ、不信仰と絶望、過去の軽視、こうやって、イジドールは悪にたどり着く。イジドールは実際に神をぎりぎりまで追い詰めた。類まれなる言葉の乱調によって、未知なる軌跡を辿っていく、無論そこには無しかなかったが。 私は十代の頃熱心に石井洋二郎訳の「マルドロールの歌」を熱心に読み、模写していた。通りすがりの地元民によく何を書いてるの?と聞かれたが、私は無視したが、あまりにしつこいと、地獄への片道切符だと答えた。誰も彼もかっぱらいになっちまえばいい、国家に反逆したらいい、コンピューター、情報などは全部捨てて、原始に戻ろうというのが当時の私の思想で、あまりに浅はかな行為だった。願いが叶ったとしてもそれは結局、今いる現実の遥か彼方にいる。私の苦しみを誰も理解しようとはしなかった。私は沈黙に身を沈めた。もし私が少しの幸福を感じることがあったとしたら、完全無比の沈黙の中だけだった。想像しうる限りの不快感が私に纏わりつく。書くことでしか、私は自分を救う手段はなかった。凍りついてしまうような蝋人形。私は終末を夢みていた。思い出なんぞあるわけがない。物事には必ず理由があってそれについて話せるはずだと、ある同居人に言われたが、私は何も説明出来なかった。沈黙の中に感じ取った亡霊を払いのけるために。私は絶望を忘れることが出来るのか?人と同じように感情を共有し笑いあったり出来るのか?不可能だった。時間は決して届かない。私自身の存在はもう既に消えている。もはや生命を宿すことのない寒々としたものたち。沈黙と死と悲観、最後の別れ、私には何もなかった。そして、墓の彼方から無数の手が私を誘き寄せていた。われわれの世界は別のある世界に結びついていて、その世界は通常目に見えないが、ある決定的なことが起こると世界の崩壊から救ってくれんばかりに一切が生起する。人間を困惑させ、憔悴させ、動揺させ、目を眩ませて盲目になる。魂はそして無知になる。脈絡のなさは常に不合理なものである。不明瞭さに反論の余地はない。世界は混沌としており、誰の手をもってしても解き明かすことは出来ない。だが、その片鱗を掴み取ることは出来る。イジドールのように。暗黒の物神に手を染めるならば。赤茶けた水滴が顔に滴り落ち、眼球に直接、毒が染みる。イジドールのポエジーを読むと異常なまでの焦りと苛立ちが見受けられる。吐血するような告白。時間のなかで時間とともに創られていく進行する創造物、最終結論を求めよと?宿命がイジドールに降りかかる。神に反逆することは実際にこの世の不幸のすべてを背負うことになる。 「僕は悪を認めない。人間は完全だ。魂は落ちない。進歩はある。善は不屈だ。無神論者、弾劾の天使、永劫の罰、宗教などは懐疑の産物だ」。  地獄の荒野の中でイジドールの声が響き渡る。死の魅力に対する遠吠え。狂気からの逸脱、顔と顔を見合わせてお互いに反映し合う堕落した想像力、精神は支配されており、悪霊の隊列にいつの間にか巻き込まれてしまう。行先も心得ぬイジドール、ああ!「恐るべき永遠なるものよ」だが、もうたくさんなのだ。難破した船のように、精神は不安定で、私は夜中にケニアやナイジェリア、南アフリカ、インド、モロッコ、タンザニアなど、フラフラと夜道を歩くのがとても好きだった。モロッコでは毎回深夜の3時くらいに開くお店があってそこのミルクティーはとても美味かった。残酷な味がした。そしてイジドールの言葉を思い出す。「乱脈の果てに、淫売と条件をかたくむすんだ。この危険なる堤携にさきだつ夜に」。 過ぎていくのは神でもなく、私でもない。モスクのコーランが流れる、さあ、饗宴の始まりだ!どうして私を誰も殺してくれないのだろうか?散歩の途中で私は引き返すことはない、静かな音と大気が微粒子と共に混ざり合っていた。私は幸運なことに大恋愛をしてこなかった、決してそれを物語ることがあってはいけないのであるから。愛することを強制されないことは救いだ。私は実際に誰のことも愛したことがない、自分自身でさえも。非人称的な渦巻きのような感覚的中心、私は偶然世界に不幸にも堕とされてしまったのだ。  私の祖父の兄は作家だったらしい。真意は定かではないが、吉川英治と友人で、よく同じ雑誌に掲載されていたと母は言っていた。そして、何かの文学賞の候補に選ばれたが、落選したと母から聞いた。その直後に祖父の兄は自殺した。20歳だった。そのことがあったせいなのか、私は無意識に自殺に関心を抱き、自らを突き動かす要因なのではないかと時折思う。父の家系も母の家系も破天荒な人ばかりで、3人も自殺している、一人は産廃屋、一人は占い師、一人は金貸しだったと聞いた。私はその呪いをすべて背負っているような気さえするのだ。一時期浦和に住んでいたが、そこは不気味な家で競売物件だった。一番奥の部屋に物音や無数の影のようなものが見え、毎晩私はうなされた。私以外は誰もその存在に気づいていなかった。母にいっても取り合ってくれなかったので、祖母がきたときに、カーテンを閉めて、部屋を開けないこと、窓の付近にお花を生ければ大丈夫だと教えてくれた。そして私に数珠をくれた。祖母は有名な霊能者だったが、そのことでお金をとることは一度もなかった。私もそういう仕事がしたいと懇願したが、あれだけ優しかった祖母に物凄い剣幕で怒られた。あの時の祖母の形相だけは忘れられない。実際に人からの信頼も失うし胡散臭い人間だと思われるので、こんなことは言いたくもないが、実際に霊魂は確実に存在するし、科学的には確実に証明出来ない不可思議な現象は確実にある。ただ、それが人間の理解の範疇を超えていて、説明できないだけのことだ。別の世界も確実にある。だが、あなたたちは見ようとしないから気づかないだけの話だ。見ようとすればするほど死期は早まる。イジドールやランボーもそうだが、彼らはあまりに足を踏み入れすぎた。脈絡のある夢も、脈絡のない夢も、並行世界として同時にあるように。最後の死だ。私はもうすぐ死ぬだろう。 生きること?生きること?はたして。私に眠れるときがくるのであろうか。直接的感覚が眼球をなぞる。消え去ったランプ、偽造された思い出、漠然とした苦悩、悲しんでいると?哀れだと?そんなことはない。私は好きでこの道を選んだのだ。言葉の裏を読み取ること。世界の裏側を暴くこと。 生きていると感じた瞬間、幸福であると感じた瞬間、私はすべてを失うだろう。 原 智広 (ハラ  トモヒロ) 1985年生まれ。中卒。作家、翻訳家、脚本家。映画『日本零年3部作』の脚本と原作を執筆。映画『イリュミナシオン』『デュアル・シティ』(共に長谷川億名監督)の原作、プロデュース、脚本を担当。boidマガジンにて映画批評を月1で連載中。 訳著にジャック・ヴァシェの翻訳と死後の架空の自伝、シュルレアリストによる自殺に関するアンケートを集成した『戦時の手紙 ジャック・ヴァシェ大全』(河出書房新社) ..

簡単パン・デピス pain d’épices facile

パンデピスは昔からフランスの定番おやつの一つとして知られており、蜂蜜とジンジャーが入っているので寒い時期に更においしく頂けます。 本日は作りやすくて、お好みに合わせていくらでもカスタマイズできるレシピを伝授します。   簡単パン・デピス pain d'épices facile   材料 (6人分)   小麦粉・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・200ℊ ベーキングパウダー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小匙1 卵・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1個 無塩バター・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・100ℊ 牛乳・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・100㎖ 蜂蜜・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・220ℊ 粗糖・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・60ℊ シナモンパウダー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小匙1 ジンジャーパウダー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小匙1 ナツメグ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1ℊ グローブ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1ℊ   オプション オレンジピール、レモンピール、オレンジの砂糖漬け スイートオレンジのオーガニックエッセンシャルオイル 干し葡萄 ナッツ等   飾り用に パールシュガー *ポンドケーキ型   作り方   下準備 型の準備をする。 オーブンを180℃で予熱する 無塩バターを雑に切り、オーガニックまたは農薬ナシのオレンジがあればオレンジ一個分のゼストを取り除く。 カップに干し葡萄(大匙1~2)を入れ、お湯を注いで15分膨らませる。   1・鍋で牛乳を温め、沸騰させずに蜂蜜・粗糖・塩・バターを加え、溶けるまでゆっくり混ぜる。 2・ボウルに小麦粉を入れ、ベーキングパウダーを加え混ぜてから、①を加え、よく混ぜる。 3・シナモンパウダー・ジンジャーパウダー・ナツメグ・グローブ・オレンジのゼスト(+オレンジピールの砂糖漬けまたはスイートオレンジのエッセンシャルオイル或は干し葡萄かナッツなど)と卵を加え混ぜる。 4・ポンド型に流し入れ、(パールシュガーやオレンジピールを塗してから)40分くらいオーブンで焼く。   冷めてから型からはずして、食べます。蜂蜜が入っており、案外日持ちしますが日本は湿気が多いのでやはり蓋つきの保存容器に入れましょう。そのまま食べられますが、トースターで温めてみて下さい。バターとオレンジマーマレードでも塗ってみるとお紅茶とよく合うおやつになりますが、フランス人のようにフォワグラに添えたりすることもできますし、アぺリティフにもお勧めです!    

大森由紀子、特別講座!

料理界ではフランスのイメージを利用したり、レシピを自分なりにアレンジするプロが多いですが、心より尊敬できる方がそんなにいません。 大森由紀子先生は日本で既にフランス菓子に興味のある方の憧れの的ですが、フランス人である私から見ても、彼女こそ心より尊敬できる、フランスと日本の理想の架け橋で、見本にしたい人間です。 フランス語やフランスに関する知識を常に深めながら、シャンソンまで歌い、常にフランスの心に触れようとする大森先生は何と!8月にアテネフランセでフランス語の特別講座をすることになりました。テーマはもちろんお菓子です! フランス語のレベルは問いませんけれど、受講レベルは入門I1です。受講料(7月11日まで)3400円 (7月12日以降)3600円になります。   ユチューブでも先生に会えます! 大森由紀子ユーチューブチャンネル   大森先生の本を読んでみましょう! 「わたしのフランス地方菓子」(柴田書店) 「フランス地方のおそうざい」(柴田書店) 「パリスイーツ」(料理王国社)「物語のあるお菓子」(NHK出版) 「ママンの味、マミーのおやつ」(文藝春秋)など著書20冊以上。 私のおススメは物語のあるフランス菓子―おいしいレシピとエピソード です。

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